顔

知人にとてもハンサムな男がいる。

 

どれくらいハンサムかというと…

 

それはもう、顔の目立たない場所に小さなロゴで『男前』という刻印が施されているのではないかと疑うくらいのレベルである。

 

今でいうイケメンということなのだけど、イケメンというのはどこか女性に迎合している雰囲気があって内面を問わない女性受けする顔という意味が強く、彼の場合は顔の造形だけではなく生き方にまで反映されているような美しい顔なのである。

 

しかしハンサムというワードは「hand」と「some」がくっついた造語のようで、意味的には「手で扱いやすい」、つまり顔が魅力的な男性は女性を簡単に手で扱える…というなんだかあまりいい表現ではない語源の由来があるみたいです。

 

それよりも「男前」という単語は「前」という接尾語が強調を意味していて「男」の姿かたちのみならず目に見えないタフな心の動きや決断力や信条などの条件が一定レベルをクリアしていなければならないような称号のように思えるので彼にはその方が合っている。

 

彼は私の後輩の整体師である。

 

ここではハンサムから取ってサムと呼ぶことにする。

 

サムはとても腕のいい整体師(最初は下手くそだったがセンスがあったのですぐにコツをつかんで上手になった)でとても女性に人気があった。

 

一度彼の施術を受けると多くの女性の目の色が変わる。

 

私は彼の接客を見ていて女性の目の色を変える彼の整体にどういう仕掛けがあるのだろうといつも不思議に感じていたが、彼は人柄もいいし優しさがその声質に滲み出ているから整体を施されながら語りかけられれば多くの女性がうっとりするのだろう。

 

サムの私生活は全く謎で、仕事が終わってから仲間と飲みに行くわけでもなく業務を丁寧に終えて片づけをしてさっさと帰ってしまう。

 

私もどちらかといえばひとりで行動する派なので、彼に対して付き合いが悪いという印象はなく自分の時間を大切にしているのだろうと感じていた。

 

しかしある日、仕事終わりに彼に相談があるので付き合ってくれないかと誘われた。

 

サムは酒を飲まないので、静かなカフェに行って話をした。

 

その時はじめて彼の悩みを聞いた。

 

それがとても意外で、世の中にそんな悩みがあるのかとなかなか返す言葉が見つからなかった。

 

サムは自分の整体技術が正当に評価されていないことに苦悩していたのだ。どういうことかというと彼の男前っぷりが災いして、表面上(つまり顔なのだろうか…)で好印象を持たれることにいい加減うんざりしていたのだ。

 

顔だけで(正確に言えば顔だけではないのだろうけど)好印象を女性に与えて仕事の成果に繋げているのだから何ら問題はないように私には思えていたのだが、その事実が彼を苦しめる根源だったとは想像すらできなかった。

 

サムは身体をメンテナンスするために来ている女性からデートに誘われたりプレゼントをもらったりしている現状に辟易していた。セラピストとしての自分の役割というのか存在価値というのか、そういった自己承認的な欲求が満たされていないようだった。

 

「彼女たちは何のために整体を受けに来るんですかね…恋人でも探しに来ているのでしょうか?僕には理解できなんです」とサムは苦しそうに言った。

 

実際に彼を恋愛対象として夢想し足を運んでくる女性たちは、その望みが叶わないと知ると決まって足が遠のいてしまうのだからその時点でサムの整体は受ける価値のないものとして烙印を押されていると彼は認識しているようだった。

 

私は正直、聞いているのがめんどくさくなってきた。

 

ずいぶんと贅沢な悩みだと思ったからだが、あえて自分の意見や明確なアドバイスを避けていると、ある疑問が私の中で拭えなくなってきた。

 

果たして、彼の恋愛対象は異性なのだろうか…?

 

これはなかなか根が深いのではないだろうか…?

 

サムは特に解決に至ることもない時間であったが話を聞いてくれた私に対して渾身の笑顔で礼を言ってくるっと背中を見せて帰っていった。

 

それからしばらく同じような日々が続いたが、サムは相変わらず人気者だった。

 

サムは仕事の合間を惜しんで整体技術の向上に余念がなかった。

 

空いているスタッフを相手に施術の練習をしたり、理論書を読んだりしていた。

 

努力は当然実を結ぶものだと思う。

 

サムはめきめきと腕を上げていっぱしの整体師に成長した。

 

人気と実力ともに院で抜きん出ていた。

 

サムが担当していたひとりの不思議な女性の話をしよう。

 

ここからは後からサムに聞いた話である。

 

私たちスタッフはサム以外全員彼女の顔を見たことがない。

 

院に来るときはサングラスとマスクをして顔を隠しているからだ。

 

施術中もマスクは外さないらしい…

 

有名人で顔が知られているのだろうか…?

 

カルテに書かれた名前は特別に知名度の高いものではなかったが偽名の可能性もある。

 

サムは彼女に「息苦しいでしょう…マスクを外したらどうですか?」と優しく声をかけたが彼女は首を振るだけでそうはしなかった。

 

ある日彼女はサムに「自分は顔に自信がないので人前でマスクを外せなくなってしまったのです」と打ち明けた。

 

サムはしばらく黙り込んで何かを考えこんでいるようだった。

 

そのときサムは彼女に気づかれない様に涙を流していたそうだ。

 

施術中だったので彼女はうつ伏せ、サムは手を止めることなく感情の高ぶりを抑えて何とかごまかすことが出来たようだ。

 

サムはある意味顔で苦しんでいるシンパシーを感じたのだろうか…

 

苦しみの種類は違うけれども誤解を覚悟でいうが、それは両者ともに紛れもなく差別偏見に苦しんでいる人に違いないのだろう。

 

その話を聞いてからのサムは彼女に行き過ぎではないかと思えるくらいの肩入れをし始めた。

 

感情が自分の意志の制御の利かない生き物に形を変えて行動をコントロールしているようだったと後になってからサムは語っていた。

 

サムは男前なので、行動もどこか男前なのだろう…普通ではない(もちろんサムにとっては自然に親しみを込めているといったところなのだろう)接し方に彼女も次第に心を開いてきたのかもしれない…それでも彼女はサムに自分の顔を見せることはなかった。

 

サムは後でこう言ってます。彼女は生まれて初めて僕の整体施術を本当に必要としてくれた人に思えました。でも違ったんです。

 

彼女はある日サムに自分の顔を見せました。

 

そして彼女はもし大丈夫なら(おそらくサムが彼女の容姿に不快感を感じないという意味なのだろう)個人的に交際がしたいという想いをサムに伝えた。

 

サムはその瞬間、間違った方向に進んでいることを悟った。

 

サムにはそういう気持ちが全くなかったからである。

 

当然、サムは男前だから人を傷つけないように自分の気持ちを偽る生き方を選ばない。彼女は失意のなか再び顔を隠してそれ以来姿を見せることはなかった。

 

「彼女の顔は隠さなければならない種類のもの?」

 

もちろんそんなことはあるはずがない。

 

隠さなければならない顔なんてこの世の中には存在しない。

 

サムは少し笑って首を振りこう言った。

 

「とても綺麗な人でした…」

 

「なぜ、彼女は顔を隠しているのだろう…?」

 

「わかりません…でも、人の顔って不思議ですよね。自分で直接見ることが出来ないから人の目がとても気になるんです。人の目を通してしか自分の顔を見ることはできないんです」

 

サムが言いたいことはつまり自分の顔を見ている人の目で自分を評価するしかないということなのだろうか…そうだとしたらそれはもうすでに本質的なものが歪められているのではないだろうか…?

 

生まれ付いたものだけでその人の本質まで歪められるなんて怖い気がする。

 

「彼女はもしかしたらそういう人の評価に抗っているだけなのかもしれません」とサムは言った。

 

私はサムに彼女を恋愛対象として見ることが出来なかったのか?と聞いてみたかったけど、何となく見当違いな気がして止めた。

 

そのことがあってしばらくするとサムは仕事を辞めた。

 

サムが担当していた人たちはサムがいなくなって失望していたようだけどスタッフ全員でフォローしたので継続して足を運んでいただけた人も多かった。

 

サムほどの男前はいなかったにもかかわらず…

 

私たちは自分の整体技術が正当に評価されたことを嬉しく感じた。

 

顔というのはその人の一部分しか表していない。

 

じっくり見れば味が出てくる場合もある。

 

過剰に意識しないことが幸せなのかもしれません。

 

サムがなぜ彼女と恋愛関係に踏み込まなかったのか…

 

今となっては知ることはできません。